
きみが来ることが決まって以来、いや、でも、ほんとに来るのかなあ、来たらどうしようかなあ、みたいなことを考えていたらあっという間に(父的には、ね)来ちゃって、気がついたら9か月以上も時間が経っていた。1日1日はとても濃くて、新しい発見の連続で(表現が貧弱だね)、「経っていた」って表現したのはたぶんその濃密な時間のせい。たくさんのことを教えてくれて、ありがとう。ここに来てくれて、ありがとう。元気でいてくれて、ありがとう。いくら感謝しても感謝しきれないほどだし、そもそもこの気持ちがたった今のきみに伝わるかはわからないけど、それでも、心の底から感謝してる。「いわゆる育児」はその大半が母の役割になっていて、それはちょっと、いや、だいぶ寂しいことなのだけど(これは本気でそう思っていて、本気でそう思っているがゆえに本気でケンカしたりした)、現実的であるということと、それが愛する母の望みだから、ということでその寂しさはいったん忘れることにしてる(宝くじで10億円当たったら、ずっと一緒にいるけどね。買ってないけどね)。でも、限られた時間の中で、ほぼ毎朝お風呂入れて、ごはん食べさせたりして、この2か月くらいはきみとふたりっきりで出かけるのもそんなに抵抗がなくなったし(父的にも、きみ的にも)、とても楽しいよ。毎日。ありがとう。もっといろんなところに、ふたりで、いこうね。年が明けて少し経つと、ついに1歳! 別に、なんというか、ただ365日経過しただけでさ、今日に比べて365日目のほうが大事、なんていうことはないし、ないんだけど、それでもやっぱり嬉しく感じるんだろうなあ。父としての1年間。365日目。その日を晴れやかに迎えるために、もっとできることが、もうちょっとある気がした。そういうこともあって(そうじゃないこともあって)、今、12月31日の朝4:33。あと20時間くらいで終わってしまう今日の日も、大切に、大切に過ごそうと思い、それを書き記そうと思って、きみと母を寝室に残して、父はリビングの床暖房の上でこれを書いています。暖かいよ。寒くなんかない。
ここから下に2000文字くらい書いたけど、それは今日時点では心の中にしまって置いたほうが良さそうな気がしたから、今消したんだ。いつかきみがこの記事を読むときが来たら、そして、その時まで父が生きていて、ボケたりしてなかったら、聞いてみてほしい。「ねえ、大晦日の早朝に、2000字も書いて、なんで消したの?」って。そこには家族の真実がある、かも、よ。